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安岡家住宅


2005年4月23日 訪ねました。

 国の文化審議会が文科省に答申した重要文化財指定の中に、香我美町山北の安岡家住宅が含まれていることが今朝の高知新聞朝刊に掲載されていました。
 この日はあちこち撮影を済ませたあと、夕方5時過ぎになり思い出したので急遽訪問してきました。
 新聞をよく読んでなくて、行ってみてわかりましたが、記念公開は今日と明日の2日間で午前10時から午後3時の間だったそうです。

 ここは作家の安岡章太郎さんのお父さんが生まれ育った家で、文政11(1828)年の建築だそうです。
 安岡家は本家からお西(にし)、お上(うえ)、お下(した)と三家に分かれていて、ここはお下家ですが、お西家からは勤王の志士であった安岡覚之助、嘉助兄弟が出ています。


 山北という地名しか知らなかったので、とりあえず山北の県道交差点付近まで行き、散歩中の人に尋ねました。
 すると交差点から少し西北の方で県道から見えるところでした。


御駕籠が入る御成門は最近手直しをしたそうで、見るからに新しい感じがします。


これが正門のようです。ここから右の塀は漆喰塗りか?


一番左の門が通用門か。正門からここまでの塀は板張りです。


 正門からまっすぐ入ると玄関があります。今ドウダンツツジが花盛りでした。
 夕方になり公開時間を過ぎていました。家の方が庭仕事をされていて申し訳なかったのですが、ご無理をお願いしました。


玄関の手前右には庭に入る門があり、閉めていたのを家の方が開けてくださいました。


庭にはいるとすぐ左手の軒下に礫岩の手水鉢がありました。
水をたたえて少しコケでも生えると良い感じになりそうです。


雨戸もすっかり閉めてあったのを、わざわざ開けてくださいました。
濡れ縁から庭を見たところです。


 庭から門の方を振り返ったところです。庭にはモミジが多く、秋にはとてもきれいでしょう。


公開部分の建物の全景です。
が、この背後には生活をする棟や蔵などが接続していて、とても広いお屋敷です。


東側のお蔵が庭木越しに見えました。西側にももうひとつお蔵があるそうです。


お座敷に上がらせていただきました。
郷士屋敷らしい床の間です。
左は案内いただいた方のおじいさん、おばあさんのお写真だそうです。


次の間には幅広の立派な絵の掛け軸がかかっていました。


玄関や居間につながると思われる障子と、右の床の間にあるのは
案内いただいた方のお父さんのお写真ということでした。


柱が見えない天井下の壁塗り部分は、天井を高く見せるための工夫で、蟻壁長押(ありかべなげし)
といい、また、ここの天井は横木が通っていて棹縁天井というそうです。


お座敷と次の間の境の上には竹の節欄間があります。


海の激しい波の音が聴こえる家ということでしょうか。


こちらには立派な書がかかっていました。


こちらは絵です。いずれも立派なものがかかっていて旧家の歴史を感じさせます。    

夕方になっていたので申し訳なく早く終わらなければと思っていましたが、すっかり長居してしまいました。
無理なお願いをお聞きいただき、ご案内ありがとうございました。


2013年3月5日(火) 立ち寄りました。


立ち寄ってみると、東の道具倉、西の米倉の修復の最中でした。


以前にはなかった番屋がありました。他所に移転していたのを取り戻したのだそうです。


長屋の屋根に多いのですが、、左右の瓦の向きが中心に向かっています。


この門も以前訪問したときとは違ってきれいになっていました。


西隣の、現在は白壁の美しいお寺?になっている、一段高く築きあげた旧お上の安岡家です。
そのまだ左に、現在は畑になっていますが、覚之助・嘉助兄弟の住んでいたお西がありました。

帰ってから久し振りに安岡家のホームページを見ました。8年の間にずいぶん充実していて驚きました。
安岡家住宅<国指定重要文化財

安岡嘉助旧邸は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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