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伊能忠敬測量の地


2010年3月14日(日) 赤岡にやってきました。


漁港で弁当を食べ、あかおか駅に近づくと「弘化時代の砲場(つつば)跡」がありました。
曰く、「この砲場は幕末の外国船襲来に備え大砲を4台据えてあった跡である。
当時は、駆けつけ浪人多数が防備隊として駐屯していた。彼らを受け入れ賄った
赤岡商人の財力と繁栄振りも合わせて偲ぶべきであろう。」


残念、期待したような、石垣も何も当時を連想させるものが見当たりません。


近くにあったごめん−奈半利線の赤岡駅に行ってみました。


やなせたかし作「なはりこちゃん」から「ごめんえきお君」までのキャラクタが勢揃いしていました。


赤岡小学校の正門前に来ました。弁天座の駐車場があります。
駐車場に車を止めるとすぐ後ろに立て札がありました。
「文化五年(1808)、幕府天文方一行の測量により、北緯33度33分の位置に
杭が打たれたが、後年帝国陸軍の測量で再確認され、御影石に改められた。」


伊能忠敬緯度観測記念碑です。
江戸時代に、初めて精密な日本地図を完成させた人が
そのためにここでも測量を行っていたのですね。


石の杭は向こうの赤煉瓦の塀の角にあったが、戦後の舗装工事の際に破棄されたらしいとのこと。


軒下にはベンガラ漆喰を使っていて、赤煉瓦の家も何か由緒のありそうな建物です。


これは初代村長・小松与右衛門邸でした。
寺尾酒造の丁稚から身を興し、村長にまでなったらしい。
赤岡は今でこそ小さな漁港の町ぐらいにしか思えないけど、当時は商業が栄えていたんですね。

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