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椙本神社


2016年1月9日 伊野の「大国様」として親しまれる椙本神社を訪れました。


椙本神社入り口の大正四(1916)年奉納の鳥居です。玉垣に囲まれた境内には杉の木が植えられています。

 
明治十一(1879)年に奉納されていた彫りの立派な狛犬さんです。その頃の東西の町組商家が奉納しています。


木漏れ日の参道に立つ二の鳥居はもう少し新しく、昭和十六(1942)年の奉納で扁額も「杉本神社」でした。


神門(二本の石柱)を通り、神橋を渡ると左に社務所と手水舎、右には境内社、正面に拝殿が見えました。


拝殿の前には初詣を済ませて帰ろうとする人がいました。
階段の両側には2月28日(旧1月22日の直前の日曜日)に行われる大国祭の予告がありました。
春祭りとして行われますが、土佐の三大祭りらしく、県内外から10万人の参拝者があるそうです。


拝殿に向かって左には社務所、手水舎、そしてこの由緒書きが並んでいました。
社伝によると創建は延暦十二(793)年、現在地では元慶年間(880年代)からだそうです。
大和三輪からの神像を奉じているので社紋が三輪だそうです。
また、この神像との関係が分かりませんが、祭神は大国主命、素戔嗚命、奇稲田姫命で
その神徳は、福徳開運、縁結び、家内安全、病気平癒、交通安全商業繁栄、漁業繁栄など
多岐にわたっています。


拝殿脇には、沢山のおみくじが結ばれ、願いを書いた絵馬が掛けられていました。


今日は見えないけど、杉本神社の宝物や絵馬群がいの町の保護文化財になっているそうですし、
特に神輿は国の重要文化財だそうです。


社務所では通常のお神札やお守りのほか、笹の葉に結ばれた福俵も用意されていました。


社務所前には境内社として、水神社、恵比寿神社、秋葉神社がありました。


後ろの大国山から湧き出している水が導かれたという池では、澄んだ水中を鯉が泳いでいました。


境内には鹿持雅澄の歌碑や高浜虚子の句碑などがありましたが、
最後に見たのが伯爵田中光顕の篆(てん)額「共存同衆」のある、
「賑恤米記」の彫られた大きい石碑です。
賑恤(しんじゅつ)は、貧困者や被災者などを援助する ために金品
を与えることだそうです。

石碑写真のままでは読みにくいので、下に書き写しました。文字に
読みにくい部分がありましたので、間違いがあるかもしれません。

       賑 恤 米 記      伯 爵 田 中 光 顕 篆 額

大正七年八月全国各地に窮民蜂起し徒党を結び土地の穀商を襲い富豪を脅し破壊掠奪を
悉にす社会の秩序大に乱れ国民は戦々兢々其の墸に安んぜず世に之を米騒動と称す是よ
り先き前年の凶作を受けて内地米の貯蓄少なく晩春以来米価奔騰して底止する處を知らず
如之奸商は縦に買占を為して利益を壟断し富豪も雑米を蔵匿して顧る處なし国民生活の
育成漸く深刻を極むるに及び遂に此の暴動を激成せり此の時に當り我が伊野町商工会長
上田健次氏は率先金五百円を寄捐し町の自衛と町民の救済とを企画し仝会役員と戮恊し
て米価調節会を興し有志に愬へて大に義捐金を募集するや 御内弊金下賜の恩命を拝し
侯爵山内豊景閣下並に町民の義侠に俟ち醵金六千九百六円五十三銭に達し外米一千五百
二十袋此の石数九百三十石九升三合糯米七十袋此の石数五十一石七斗六升八合を購入し
町民一般に廉賣を行い且つ窮困者二十四戸に対し二十四袋を頒輿し因って以て町民を困厄
より救い治安を保持し惨禍を未然に防ぐを得たるは社会政策上其の功績の顕著なる実に
感謝に堪えざる所なり茲に当時の梗概を勤し 皇室の洪恩と併せて篤志者の芳名を記し
て以て後日に遺すと云爾

昭和七年一月            伊 野 米 価 調 節 会

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