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八田堰の跡


2012年11月7日 野中兼山遺跡の一つ、弘岡用水の源を訪ねました。


いの町から仁淀川沿いに南下する県道が、八田の手前で川岸から離れる地点です
県道脇に八田堰改修記念の石碑が建てられています。その奥の用水の岸辺に説明板があります。


伊野町保護文化財 野中兼山遺跡「八田堰の跡」


今は新しい資材と技術で改修されていますが、昔は松材の木枠に栗石を入れた蛇篭などで流れを抑えたようです。
また流され難いように水流に対して曲線で受けとめるとか、様々な工夫があったようです。


全約25.5kmの井筋で配り、吾南平野の862haの田畑を潤し、また水運により経済を発展させました。


ゆったりと今も流れる井筋の水面です。
兼山が34歳の慶安元(1648)年に起工、付近の8か村の労力奉仕により、5年の歳月をかけて
完成したものです。

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