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波川玄蕃城跡


 2005年6月4日 いの町の仁淀川を西に渡って国道を進むと、農業大学校の入り口に波川玄蕃城跡の標識があります。
 標識に従い、進むと大学校の脇を通り、南側に出ます。そこを右に曲がり山の中に入っていきます。普通車がやっとという狭い道ですが、所々に待避所があり全線舗装道路となっています。
 ここは伊野町保護文化財として伊野町が所有し保護しているようです。
 伊野町教育委員会が建てた説明板によると、「天正初年(1573頃)波川玄蕃頭清宗が築城したものである。清宗は、長宗我部元親の妹婿であったが、元親に謀反を企てたといわれ天正8年に阿州海部(徳島県海部町)で詰め腹を切らされたと伝えられる。城は清宗の死後一族が元親に亡ぼされて消滅したものと推定せられている。
 この城は山城であって海抜171mにあり、周囲に巡らした土塁が残存している。西北隅、及び西南に出入口の跡があり本丸の下段に二の丸がある。


城跡まで登る途中にあったへんなオブジェ
いったい何のための傘だろう?Docomoが協力しているのは元気の森?


二の丸が最終駐車場になっています。
見晴らしの良い場所にはベンチが置かれていて、いの町の遠景を見ながら休憩することができます。


二の丸駐車場を東側に回り込むと本丸への階段がありました。


階段を上りきると広場があり、説明板と城跡の碑が迎えてくれました。


説明板はきれいなものでした。城跡はいの町の文化財として保護されていました。


周囲は土塁で囲まれています。
どの程度の天守があったのでしょう。小さな櫓程度だったのかもしれません。


本丸が建っていたであろう場所はフェンスに囲まれて小屋がありました。

 
RKCやNHKなどの中継アンテナが建っていました。


北方には仁淀川の上流、神谷方面が霞んで見えました。
空気が澄んでいたらどこまで見えるのでしょうね。


東方にはいの町の中心街から枝川方面が見えていました。
さらに右手の方には自動車道の伊野インターも見え、烏帽子山連山がシルエットになっていました。
すっきり晴れた日には双眼鏡でも持ってくればなかなか楽しい場所ではないでしょうか。


紙の町いの町には紙業試験場があり、製紙の開発研究が行われています。

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