土佐の歴史散歩高知市北部>渡辺一寸の墓

渡辺一寸(松丞)の墓


2012年12月26日(水)
高知市広報あかるいまち1012年12月号に、渡辺一寸(かつちか){松丞(まつのじょう)}の墓が掲載されていました。
県立坂本龍馬記念館学芸員の亀尾美香さんはこの記事で、「龍馬と同じ時代を密偵という陰の存在として生きた松丞」と書いています。
これを見て私も訪ねたくなりました。土佐の忍者の墓です。


宇津野一ノ谷遊歩道の入口です。右にコースの地図が掲示されています。


途中に座ったお地蔵さんがいました。


川の分岐点近くに橋が架かっていました。これを渡るともうすぐです。
遊歩道は画面右方に進みますが、橋を渡ったところに高知市の案内板があります。


この案内板の後を右方に上がっていくと50m位で到着です。


たまには墓参者があるようで、お供えの酒の空き瓶などがありました。


渡邊一寸夫婦之墓となっています。
以下のように亀尾美香さんが寺石正路の『土佐偉人伝』続編から引用しています。
「松丞は久万村に生まれ、後に分家し秦泉寺村に住んだ。手裏剣の技に優れた松丞は
山内容堂に気に入られ、駕籠(かご)脇の護衛を務めたという。また、三間(さんけん)
(約五・五メートル)離れた場所につるした一文銭の穴を手裏剣で撃つことができた、
一升飲んでも乱れないほどの酒豪でヘビやカエルを食した、自身の名前が一寸であるから
子どもを一寸の半分で五分(ゆきお)と命名した、」といった風変わりな逸話も記されていると。


なぜ坂本龍馬記念館の学芸員である亀尾美香さんが松丞に関わった
のかと思えば、平成21年に高知県が購入した、「土佐藩京都藩邸史料」
の展示を「"土佐藩探索御用役"がみた幕末」展として2013年1月11日
まで開催していて、その中に松丞のこともあるからでした。
この墓には大正8年に建てたとしか刻まれていません。「土佐の墓」に
よると明治21年(1888)6月27日に54歳で没しています。

渡辺一寸の墓は「土佐の墓」山本泰三著に掲載されています。

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