2012年2月18日前田秀徳先生と真宗寺山を歩きました。
登り口の頂上付近に小松孫四郎先生の墓はありました。
墓石の左右及び背面には文字がぎっしりと彫ら
れていました。
不明な文字もありましたが三面は以下のようでした。
私の曾祖父も戊申の役など同じ時代を生きています。
君諱幸盛称孫四郎小松氏高知縣下 知村人家世郷士考諱重忠妣小松氏 有四男君其長子也少好武従谷寺村 毛利諸人學剣及要馬兼修抜刀槍銃 諸法技大進藩主山内氏召為剣術導 役賜●俸教藩士就家而學者亦数百 人戊申東征之役従軍有功進列藩士 既而請暇歴遊天下以究其技遂抵東 京遊橇井氏門比反朝政一新藩主納 封乃帰耕郷里尋見推為戸長山内氏 嘗召奮臣演要馬術於御苑以供 天 覧有酒絹之賜君亦與人皆榮之明 治十七年補警察吏授剣法後臥病数 年竟不起實廿六年四月廿一日也享 年五十二葬薊野先榮次配藤阪氏生 二男二女次子寅彦嗣家君性易直豪 爽勇於義怯於利従遊者莫不畏愛晩 信仏法又嗜書画可以知其非尋常武 人之此也頃者警察官吏與門人謀伐 石以表其墓請余文因為叙其概略 高知縣知事従三位勲三等 石田英吉撰 |
台石にも名前がたくさん彫られていました。石山孫六という剣道の達人の名もありました。
高知縣知事をつとめた石田英吉による撰文です。
丸の内にある範士石山孫六の頌徳碑です。