土佐の歴史散歩高知市西部>才谷屋墓所

才谷屋新墓所


2003年11月2日

 前田秀徳先生に案内いただき、小高坂山に初めて行って来ました。
 ここには龍馬たちの坂本家が分家した元の豪商「才谷屋」の墓所があります。
 しかし、小高坂山は近年、丹中山と同じように宅地開発を行う業者によって林を剥ぎ、山を削り大規模な開発が進んでいます。 


 この場所は小高坂山のうち、西の部分で「三の丸」という山です。
 写真の中央には高知城(大高坂城)が見えます。
 その昔にはこの城山との中間に中高坂山と呼ばれた山があって、
それは長宗我部氏の築いた城の上に二の丸三の丸を拡張する
のに使われて、現在はだれも気づかない平地になってしまったそうです。


現在の開発部分の西端にいくつかの新しい墓所がありました。
手前の山川家の墓所には山川良水の自然石の墓があります。
良水は十五代豊信に仕えていましたが、江戸勤務中に勤王の風を受け、
戊辰戦争にも大目付として参加しています。


黒い石塔に「坂本家」とあり、家紋もつけられています。


石塔の後ろ側の柵の中には才谷屋の先祖からの墓石が並べられています。
本来は豪商の墓ですから、墓石の後ろにかまぼこ型の石などがそれぞれに並べられていたものです。
これらの墓は開発の進む小高坂山中の蛭ヶ谷、大平山など3箇所に分散していて失われそうになっていました。
そこで、歴史写真家の前田秀徳氏がかけあい、業者の協力を得てここに集め残されたものだそうです。


 才谷村の太郎五郎を遠祖とする「大濱」姓からあり、
「前大濱」とする墓石に続いて「坂本」姓になります。
大濱八兵衛守之、妻、前大濱八郎兵衛の墓が前面に並び、
後ろには分家した大濱曽右衛門らが並んでいます。


郷士坂本家として直海を分家させた坂本八郎兵衛直益の墓と妻の墓です。


 大濱家の家紋は丸に田の字です。
ここにある墓石は1つを除いてすべてこの家紋がありますが、
直益の妻の墓だけは桔梗違い桝の家紋となっています。


 この新墓地の少し上にはかつて「三の丸様」と呼ばれた、
山内忠義公の妻の立派な墓がありました。
 この墓があるので、この山が三の丸と呼ばれるようになったそうです。


三の丸様の位置からは高知市北部の町並みが遠望できます。
人口が増えると都市温暖化、ゴミ処理、産業廃棄物、犯罪の増加等さまざまな問題が発生するのに、
どうしてこんなに人が集まって来て住むのでしょうか。

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