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鴻ノ森城跡


 戦国時代の土佐は、安芸氏、山田氏、長宗我部氏、本山氏、吉良氏、大平氏、津野氏の七守護がいて、幡多は一条氏の荘園でした。
 本山氏と長宗我部氏の争いで永禄5(1560)年、本山方でこの城を守る出雲の守のもとに潮江城を攻略した長宗我部氏の大軍が攻め込んできました。
 しばらくの籠城の後、西の水源を絶たれました。しかし、夕方には馬に米を水に見せてかけるなどしてまだ水はあると見せかけ、水源の警戒をあきらめさせるなど知恵を絞りましたが、とうとう望みはなくなり城守出雲の守は自害し果てました。(説明板より抜粋)
 ※現在「鴻ノ森」という表記と「高ノ森」という表記があり、ここの看板では土地台帳に使用されているということで「高ノ森」でした。


「土佐物語」では巻第四に(五)「土佐郡城々軍のこと」として土佐郡内の本山氏系の城々を元親が攻め落としていく場面が語られています。
その中では「神ノ森」と表記されています。出雲の守の籠城に対して、地理を知っている数名の郷人が北の断崖を登って城に火をかけたというエピソードも読みました。
そこで、2005年7月30日、2時間ぐらいヒマができたので、近場でまだ紹介してない鴻ノ森に行ってきました。


高知市北部環状線の西端に近い口細山交差点の直前に北に入ります。
自動車道の下をくぐり、ゴルフ場の脇を通り山に入っていきます。
車では5分もかからないところが高知市街を見渡せる峠になっています。
そこの空き地に車を止めて徒歩でみかん園の中を歩きます。


エノコログサが群生しています。
その向こうに自動車道が見えます。


道ばたには、まだ青くて小さい実のなったミカンの木がずっと並んでいます。
舗装道路が山の南斜面を西から東へ、ターンして東から西へ同じ南斜面を進むみます。


舗装道路が途中で切れます。ここまで車を置いてから徒歩約10分。
一度西側まで登り折り返し同じ南面を東向けに登ります。


東端で隣の山に向かう道と上に登る道に分かれます。
上の方には石段が見えています。


二ノ丸から


頂上の本丸には「山との原の会」が千回登山達成記念に建てた説明板がありました。
車を置いて歩き出してからここまで約25分でした。


広場には三等三角点がありました。
標高299.5m


高知市西部が見渡せます。
画面左の向こうから手前に孕、筆山、小高坂山。その手前は万々や福井町。


広場の西端から東向けに。


広場の縁はほんのわずか盛り上がっていて、土塁の跡と思われます。
雨がぽろぽろして来たので急いだら、下りは早くて車まで15分でした。

鴻ノ森城跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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