2012年12月3日 仁淀川沿いの、いの町から春野町に入る地点にやってきました。
旧道との分岐点に「兼山遺構」の石碑があります。説明の石板は汚れで見えにくいです。
すぐ横に新しく簡潔な看板がありました。
その下ではトンネルから水路が出てきています。今でこそ改修されトンネルになっていますが、
当時は人力で岩山を削り、高さ10m、幅10m、長さ40mの切り通しをつくったのでした。
この部分は仁淀川に山が迫り、水路を通すには、岩を砕き山を削る必要があり、大変な難工事
になったのです。
水路は満々と水をたたえて弘岡方面に向かいます。
やがて水路は2つに分かれ、右は森山地域へ、前は弘岡から諸木地域へと流れ田畑を潤します。