2012年11月27日 春野町の西部(森山)にやってきました。
野中兼山の土木遺構、新川の落としです。水路の水が坂を流れ下ってきます。
水しぶきの向こうには静かな水面の新川川が続きます。源の水面と新川川の水面の差は約3m。
傾斜のある河床には近くの吉良城址から石材が運び込まれたといいます。
流れの源には珍しい形の橋が架かっていました。
橋の上を歩いてみました。石畳部分とコンクリート部分があります。
涼月橋という橋で、承応元年に野中兼山がここに新川川、新川町をつくったときには木造でした。
明治30年頃に石橋が架けられ、めがね橋と呼ばれました。
その後自動車が通行できるように、コンクリートで拡張したようです。
反対側から橋を見たところです。
右の石柱が明治の石橋の橋名柱の一部と説明されています。
対岸のイチョウの木の下に小さな説明板がありました。
ここに春野神社があり、野中兼山の偉業を顕彰しています。
水源をたどるとすぐに、仁淀川の堤防に沿って流れる井筋から分岐していることが解りました。
仁淀川の上流からの物資をここで新川川の小船に積み替え、木材のいかだは解いてそのまま
流して通したようです。新川川から長浜を経由して浦戸湾を遡上し城下に届ける水運の道が、
兼山の知恵によってここにできたのです。ここは交易の町として商人たちで栄えていました。