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兼山の郷公園


2005年7月16日 春野町を訪れました。


春野町の中心地に近い場所で、ピアステージという文化施設からすぐです。


敷地北側を流れる新川川の改修を行った記念の施設のようで、兼山の郷と名がついていますが、
兼山についての説明は一切なく、もったいない限りです。


公園とは別に道路を挟み、野中兼山の像が立っています。ここにも野中兼山に関する説明は一切ありません。
知事の売名行為かと間違えるので、是非見やすい説明案内板が必要です。
どうして像を建てるときに一緒にやらないのでしょう。

2006年11月4日再び撮影のため訪れました。


 野中兼山は春野平野の隅々に仁淀川の水を配る潅漑用水や、紙の町伊野から長浜の港に
通じる水運用の運河を通し、農業や商業の発展の基礎を築きました。


このような工事は藩内各地で行われました。
だれもがそれまでなし得なかった大工事の成功の裏では、農民から下級侍までが
毎日厳しい労働に明け暮れ、不満が蓄積していきました。


兼山は辣腕を振るって藩の財政を建て直し、二代藩主忠義の信望を得てきたたのですが、
忠義が隠居し若い三代藩主忠豊になると次第にその権勢をこれみよがしにして、
藩主をも軽んじるようになりました。他の家老達は相謀り、過酷な労働や厳しい年貢などの
とりたてに対する不満を利用して兼山に謀反者の烙印を押し、お家断絶としたのでした。
沖の島裁定を見て幕府が兼山に怖れを抱き、失脚させるよう謀ったとも聞きます。

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