唐音(からと)の切抜(きりぬき)
2012年11月27日 春野町東諸木と長浜の境目にやってきました。
春野町を流れ下った新川川 はここでは北方に流れています。(2016.01.16)
そして、ようやく山の間を東に向かおうとする所、左から流れてきた小河川と合流します。(2016.01.16)
左からの流入河川は北の鷲尾山、烏帽子山間の谷から流れてきた水です。(2016.01.16)
長浜の西端部の春野町との境目に、海岸部から始まり内の谷まで延びるごく低い山地があります。
その途中を切り抜いたのが「唐音(からと)の切抜」です。
碑文がありました。
由来
土佐藩の奉行職野中兼山は吾南平野の灌漑と水運のため弘岡用水と新川川の
水路の開発に1648(慶安元)年より5年の歳月を費やして完成した。唐音の切抜
は新川川と浦戸湾を結ぶ水路として開発されたもので長さ50間(90m)高さ15間
5尺(27m)幅7間(12m)に及ぶ大工事であった。この切抜の開通により仁淀川
流域と高知城下町とが内陸水路によって結ばれ産業は発展した。兼山苦心の遺跡
である。 春野町教育委員会 昭和63年3月建之 翆村書
現在は水門があり、流れを一定に制御しています。
ここで長浜川と川の名前が変わり、長浜の集落を通り浦戸湾に注ぎます。