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金山城跡


2013年4月13日(月)


布師田のふれあいセンターです。


その横にはふれあい広場がありました。


ここは古くから交通の要衝で、江戸時代には参勤交代の最初の宿泊地であったそうです。
布師田御殿と呼ばれていて、明治時代には布師田小学校が建てられて、昭和57年まで使われて
いたと書かれています。こんな重要な場所なので聞いたことはありましたが訪れていませんでした。
説明板を建てたのは「布師田の未来を考える会」という地域の民間団体です。


広場の隅から坂道を上がるとすぐ、忠霊塔がありました。


吉田茂の書による「忠霊塔」の文字の下には約60名の戦没者
の名簿がありました。この方たちの犠牲の上に今の日本がある
ということを改めて思いました。


昔は段々畑だったなごりの石垣が、今や竹に崩されそうです。


今はただの竹藪ですが、昔はここが石灰岩を採掘していた場所だそうです。


「布師田の未来を考える会」の歴史部会により、城跡の案内がありました。この先には防御設備
としての堀切があるようです。


長宗我部の本城のあった岡豊山が見えました。


平成24年(2012)2月に「布師田の未来を考える会」が建てたものです。
同会の説明では、元この城は石谷民部の城で長宗我部氏に従い、長宗我部家臣の久武内蔵助に
譲り、自らは土佐神社の神職になり執行宗朴と名乗ったのだそうです。
その後は、岡豊城の防御と周辺進出の拠点であったとのことです。


南側は開けていて、東は安芸方面から空港周辺など、


西は孕の東西の連山まで見渡すことができます。


ちょうど旅客機が空港に着陸するのが見えました。

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