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旧関川家住宅民家資料館


2007年2月9日(金) 今日は雨が降り出しそうなお天気です。

 うちのご先祖が関川家に養子に出ているので、同じ関川家なのかどうかわかりませんが興味があり、行ってきました。
 後で「関川家」を検索してみると、「高知県文教会館」のウェブに「旧関川家住宅民家資料館」のページがあり、この日もらった高知市教育委員会発行のパンフレットの内容がそっくりそのまま掲載されていました。詳細はそちらを参考にしてください。


 関川家の正門です。
 旧国道32号線の薊野から一宮に行く途中、「のれそれ」の看板のある
飲食店の北側を東に入り、二つ目の交差点を左に曲がります。
 奥に行き詰めると左に門がありました。


文政二年(1819)に建築又は改築されたという母屋は茅葺き屋根で、暖かい感じがします。


 豪農から郷士にとりたてられただけあって、周囲は農家の匂いがぷんぷん
(別に臭いわけではありませんよ)します。
 柿の木が何本もあり、そのうちの一本は直径50cmぐらいの幹が1mぐらいの高さで折れて無くなり、
内部は空洞になっていました。しかし、その表皮部分から芽が出たのでしょう、
2mぐらいに成長し実をつけた跡がありました。


さすが、豪農だけあって大きい米倉です。


米倉の隣にまた大きい倉がありました。こちらは道具を入れる倉だそうです。
立派なので農業の道具とは思えませんが、どんなものが入っていたのでしょうか。
パンフレットでは平地豪農の典型的な配置ですと書かれています。


手水鉢が似つかわしくないところにありました。
農家だけに農作業の後、手を洗うのにはここがいいねえ。


勝手口の前の屋根の下には井戸があり、浴室もありました。


勝手口から入ると土間になっています。
古い道具の姿がなんだかいいですねえ。


土間から上がると板の間に囲炉裏が切ってありました。
ここで、家族団らんがあったり、夜なべ仕事があったりですね。
ちょっとここで生活してみたいですね。


内庭というか、裏庭というか。脱穀や荷造りなどの農作業もここで行ったのでしょう。


郷士なので武士の面もあり、座敷には欄間があったり、玄関の間には槍をかけるものが
天井からぶら下がっていたりする。


玄関の間(シキダイ)にはこんな飾りがあちこちについていました。釘隠しですがおしゃれですね。


大事なお客を迎えるために座敷があり、立派な床の間がある。


座敷からはきれいに整えられた表庭が見えます。


濡れ縁が濡れないように庇の奥行きが長く造られています。


 柱の基には石が置かれ、柱も根の部分がそのまま使われています。
こういう石と柱の組み合わせ方は初めて見ました。
その他家の各柱の基礎部分にも石を置き、その上に柱をのせてありました。


手水の水を流すところで、手前は濡れ縁から竹のすのこが張り出していて、下は小さな池になっています。


家の裏はやはり畑のようです。
国指定の重要文化財であるので、消防の設備らしい何かがニョッキリ立っていました。


 帰りは旧国道32号線に近い裏門から出ました。


裏門が旧国道から近いためここから入ろうとする人が多いのか、表門にまわってください、
と外には書かれていました。
農家と武家の両方の特徴がある、元は一領具足であった家ということがよくわかりました。

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