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郡頭神社


2013年3月2日(土) 延喜式内社 南海道土佐二十一坐の一つです。


郡頭神社の正面、一の鳥居です。町中なのに思っていたより長い参道があります。


狛犬さん、「あ」です。


左側の狛犬さん「うん」です。


鳥居に架かっている扁額です。結構貫禄があります。


少し奥に入って二の鳥居です。


小さいですが神橋がありました。


神橋の内側にいた右側の狛犬さん「あ」です。


そして左側の狛犬さん「うん」です。


左手には手水舎です。


右手には撫で牛が寝ていました。


こういう風流な石灯籠も寄進されて左右に一対、裏口にも一対ありました。


石灯籠の向こうが社務所です。


ずいぶん小さい祠がありましたが、何なのかよくわかりません。


由緒書きが石版に刻まれていました。

 ○ 御 鎮 座 地
高知市鴨部二六四番地
 ○ 御 社 名(こおりずじんじゃ)
郡頭神社(古保里都神社と訓じ・・・と「明細帳」にある)「こほりつ」と読む。
 ○ 御 祭 神
大國主命
 ○ 由 緒
 延喜式巻第十(神祇十)神名下(南海道神)土佐国廿一坐の一つである。
「続日本紀」神護景雲二年十一月戌子の条に「土佐国土佐郡人神依田公名代等四十一人
賜姓賀茂」とあり、「新撰姓氏禄」に「鴨部祝賀茂朝臣同祖大國主神後也」とあることからも
賀茂氏一族の当地に於ける繁栄と、大國主神を奉斎し崇敬したことがうかがわれる。
延喜式内社であった当社は、明治五年郷社に列し、昭和二十一年神社制度の変革により
神社本庁に所属し、仝年五月十七日宗教法人となった。
 昭和五十六年五月二十七日、御社殿及び社務所が炎上したが、ご神体間近まで燃え迫っ
た炎は自然に消え御神体は御安泰であった。
更に、御神体に関する不思議な霊威はこれにとどまらず、社務所神殿に安置された御分霊
も、あます所なく焼け落ちた廃墟に無疵で御安泰、仮殿に遷座すべく奉仕した神職共あまり
の神威の高さに慄然とした。
 昭和五十八年より一年有半を経過した工事により、本殿、弊拝殿、社務所、神庫、境内諸
設備等を再建新設した。

 ○ 大 國 主 神 さ ま
 大國主神さまには多くのお名前があります。
それは、御神徳(御利益)が多いことを物語っています。葦原醜男(あしはらしこお)、
八千戈神(やちほこのかみ)、大邑貴神(おおなむらのかみ)と別名でお呼びすることもあり
ます。
 大國主神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子とも、五世孫とも六世孫ともいい、
「古事記」によれば、天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)の御子で、御母は刺國大神(さす
くにのおおかみ)の娘、刺國若毘売(さすくにわかひめ)であるとされています。
 大國主神は、国土を開拓し、天下を経営し、畜産の業を興し、医療の法を教え、種々の災
をはらい、禁厭の法を定められました。そのため国作らしし大神とも申し上げます。
 天孫降臨にあたっては、御子、事代主神(ことしろぬしのかみ)と議って国ゆづりをされ、永
く幽界の事を司られるようになりました。


伊勢神宮のポスターが貼られ、絵馬が架かっていました。


拝殿の正面です。


拝殿内部です。


社殿の全景です。


反対側に回り、本殿です。


境内社の八幡宮がありました。


右側の狛犬さん「あ」です。なんだか猫に見えると思いませんか?


左側の狛犬さん「うん」です。


北口です。


右側の狛犬さん「あ」です。こちらは猿のような顔ですね。


左側の狛犬さん「うん」です。全体に比べ顔が小さいです。それぞれ個性があって面白いです。

 昭和56年に火事で全焼したのですね。その前には風格のある木造社殿だったのでしょうに残念です。賀茂氏の勢力圏にあったということは、この近くの神田ムク入道遺跡の発掘結果(2010.10.16現地説明会)にも現れていたようです。

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