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浄貞寺


2002年9月22日 浄貞寺を訪ねました。(2005.12.17再訪)

県立安芸病院の北西にあります。入り口の川沿いの道路が狭いので注意が必要です。


元親山浄貞寺といい、安芸氏の菩提寺であり、南国市比江の永源寺の末寺だそうです。


明応年間に安芸国虎の祖父備後守元親が創立。


国虎が切腹の際にこの池の水で太刀を清めたという。

(2005)
土塀で囲まれた一角が安芸国虎の墓地でした。
この写真では左手向こう側が墓地の入り口で、家老二人の墓が護っています。


安芸国虎の墓と袂杉
奥方が一条に戻った後に墓参の時苗を袂に入れて持ってきて植えたという袂杉は
一度枯れてしまい、二代目だそうです。

(2005)
国虎の墓の右前方にある家老黒岩越前之守の墓。  
国虎自刃の後、奥方を中村の一条家まで預けに行き、帰り道で長宗我部に召し抱えたいと誘われたが、
主君が寂しいだろうからと断り、国虎の後を追って自刃したという。

(2005)
国虎の墓の左前方にある家老有沢石見の墓です。
国虎が自刃したとき介錯をし、後を追ったということです。

(2005)
国虎の祖父である安芸元親の墓
安芸氏は壬申の乱で土佐に流された蘇我赤兄を祖とすると言われています。−>安芸には蘇我神社があります。

(2005)
安芸元親の子、国虎の父の安芸元泰の墓です。

(2005)
安芸元泰の長男、国虎の兄の安芸泰親の墓です。

同じ寺の墓地の上の方にはこんな墓もありました。

維新勤王之志士 黒岩 直方
涙香新聞文壇之巨星 黒岩 周六
昭和維新之先駆 岡 繁樹
昭和四十二年十一月 岡 直樹 建立

 写真は撮っていたものの、これはどうしたものかと思っていたら、2003年5月19日付けの
高知新聞が「反骨を貫いた新聞人」として「岡 繁樹」のことを紹介していました。
 これを建立した岡 直樹(昭和47年没85才)は繁樹(昭和34年没81才)の実弟だそうで、
叔父である黒岩直方の伝記を出版したそうです。
 繁樹は黒岩周六(涙香)の経営する新聞社萬朝報(よろずちょうほう)に入社し幸徳秋水などと
知り合い、足尾鉱山鉱毒被害のレポートなどを書き記者として活躍。その後アメリカに渡り
波乱の人生を歩いたそうです。
 (それにしても黒岩涙香ゆかりの人が仲間にいたとはうれしいね。)

(2005)
安芸家の墓地から少しだらだら坂を上ると右手に黒岩家の墓地がありました。
その中でも目立つのが大きい自然石の墓で、勤王の志士であった黒岩直方と妻栄子の墓でした。

安藝国虎・黒岩越前・有沢岩見及び黒岩直方の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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