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中岡慎太郎館へ

 硬派の論客として三条実実に働きかけ、西郷、木戸など数多くの人を説き伏せ、、坂本龍馬と共に維新を築いた中岡慎太郎ですが、後世に坂崎紫欄や司馬遼太郎が坂本龍馬を有名にしたのに比べてあまりにも地味な状態で残念です。もっともっと中岡慎太郎を知っていただきたいものです。


2000年10月11日、北川村に所用があり行ったついでにちょっと足をのばしてみました。


平成12年4月13日に知事を迎えて除幕式を行った中岡慎太郎像がまず迎えてくれました。


平成6年4月13日にオープンした中岡慎太郎館(館内は撮影禁止です)
このときの館長は北川村の教育長さんでした。
中岡慎太郎の30年の生涯にわたる記録、ビデオ資料や蝋人形が迎えてくれます。
4月13日は慎太郎の誕生日だったんですね。(天保9年4月13日(1838.5.6)−慶応3年11月17日(1867.12.12)


中岡慎太郎の生家
昭和42年に復元されたもので、茅葺き屋根の肘屋建築だそうです。


門から入ると外庭に出る。右に曲がり玄関へ。


玄関の手前に木戸があり内庭に。
庄屋だったというだけあって、整った建築です。
中岡慎太郎はここで育ち、田野まで出かけて勉強し、
若い庄屋見習いとして様々な工夫をして地域を支えていたのです。


慎太郎の遺髪墓
  2002年3月9日再び北川村を訪れ、まだ拝んでなかった中岡家の墓所に行って来ました。


中岡慎太郎の遺髪を祀っている墓所は慎太郎館から150m
ほど離れた場所にあります。

墓所全景
 一番右の墓誌には次のように書かれています。
 「中岡家先祖の墓地は高知市潮江山にあり、集中豪雨の災害を受け薊野に改葬す。
旧墓石五基を中岡晟氏より譲り受けこの地に移す。
昭和五十九年十一月吉日 中岡慎太郎先生顕彰会

 一番大きい碑には正面に「中岡慎太郎先生遺髪埋葬の地」とあり、右側面に「昭和五年 柏木支部青年団建之」とあります。
 


父:小伝次 母:うし 姉:京 3人で一つの墓石です。


中岡慎太郎の遺髪墓(右)と妻兼の墓石(左)

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