2007年11月25日 皿ヶ峰(高見山)を歩きました。

久しぶりに皿ヶ峰を歩いた。できたら鷲尾山まで行こうと考えていました。

筆山の駐車場に車を置き、南の墓地の間を進み皿ヶ峰の東側山腹を通り、南に抜けます。
すると大きい看板が目に入ります。

あたりを見回すとススキの中に三原の文字がやっと見えました。

ススキを下に踏み固めて、全体が見えるようにしました。
三原兎弥太正矩墓と読めます。

勤王の志士であり、戊辰戦争で会津まで進んだが、若松城付近で戦死。享年25。

後ろを振り返ると皿ヶ峰が数多くの墓を抱いてゆったりと秋の日を浴びていました。

その後、2010年1月27日に通りかかると、すっかりきれいになっていました。
三原兎彌太の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
三原兎彌太の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。