2012年1月26日 筆山文化会館のすぐ南上に続く階段を上がると百々家の墓地がありました。
いくつかの大きい墓標が立っていました。中には地震で倒れたのでしょう、折れているのもありました。
百々刑部少安政の墓です。
初代越前安行は京都で隠棲中、一豊に召し出され高知城築城にあたりました。墓は京都にあります。
「土佐の墓」によると安政は明暦元年(1655)家老となり、歌人としても知られたようです。寛文8年7月22日52歳で没。
明暦2年(1656)に44歳で亡くなった養子の百々出雲守忠安の墓です。
このほかにもいくつかの墓標がありました。
百々安政の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。