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本山土居跡



 上街(うえまち)公園です。
 入口に本山土居跡の説明板がありました。

 本 山 土 居 跡 

 土地の豪族本山氏の土居の一つで、天正17年(1586)長宗我部検地当時は本山采女が住んでいた。山内一豊の土佐入国後、慶長6年(1601)山内刑部(永原一照)が本山千三百石を与えられてここに住んだが、その子但馬は私曲の罪によって元和6年(1620)知行を没収されて、佐川の深尾家に預けられたため、それ以来本山土居はしばらく領主不在となった。寛永7年(1630)野中直継が本山土居を預けられて千石を加増せられ、養嗣子兼山も当然これを受け継いだ。兼山は藩主忠義の厚い信頼を得て、藩奉行職として敏腕を発揮したが、本山領主としても吉野川の支流の樫ノ川や木能津川に下津野堰、トドロ堰、ノボリ立堰、カタシ山堰、井口堰を設けて用水をひいて多くの新田を開発し、その余沢を現在にまで及ぼしている。又、寛永20年(1643)に発せられた「本山掟」は、兼山と領民をつなぐ歴史的文書といえよう。寛文3年(1663)兼山失脚後、本山土居は山内下総、次いで孕石頼母らによって管理されたが、明治になってすべての建物が取りこわされ、今はその石垣にわずかに面影をしのぶばかりである。 本山町教育委員会


 公園の中に入るとあわてて走り出す鳥がいました。


 土居屋敷跡碑


 昔を偲ぶものは石垣ぐらいしかないようです。


高知市民図書館蔵の「土居の絵図」が掲示されていました。
長屋門と塀で囲まれた中に1棟の屋敷があったようです。


公園(土居跡)の南には本山の町が眼下に広がり、本山城址のある山が見えました。

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