2012年1月10日(水) お墓に行き当たってから2年後、今度は野市町の邸跡を訪ねました。
ここはごめん−なはり線を挟んで、ちょうど吉川村の墓所とは反対側になります。
大石家墓所から西方に川を渡り集落に入ると大石圓旧邸がありました。
屋敷の周りには用水が流れています。
右側の角です。こちらにも用水が流れています。
庭木が大きく育っています。
門脇に「史跡 従五位 大石圓先生宅跡」と野市町教育委員会名で建てられた標柱です。
説明板も建てられていました。
土佐勤王党といえば武市瑞山が首領ですが、大石は参謀格であり、大石が立ち上げたといってもいいのです。
白壁の上の瓦から大きい幹がのぞいています。
玄関はアルミサッシになっていますが、脇窓の戸袋は時代を
感じさせます。左の潜り戸から内庭に入ります。
門の右にも庭があったようで、踏み石が残っています。
こちらには現在の住居が建っています。
塀の裏側の庭木の様子です。幹の太いこと。この家が建って
から約百五十年ずっとここで育っているのでしょう。
主屋の深い軒です。掃きだし窓の上のしとみ張りなどは時代を感じます。
内庭の様子です。梅の木が臥竜梅のようです。
家の裏には当時の生活を感じさせる畑と池がありました。
大石圓邸跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。