2004年3月27日
才谷、長宗我部氏の墓所と今日は墓所巡りでした。最後に少し寄り道にはなりますが近くなので、谷秦山の先祖の墓を尋ねました。
もともとの先祖は大和から来たようで、代々神官として岡豊八幡宮の神官を務め、のち長宗我部氏に仕え、三代甚右衛門は野中兼山に仕えていました。 2011年3月24日にも追加撮影しました。
領石通りを南下すると、岡豊山のすぐ東の小さな山があります。
登り口には標柱がありました。
登り口から50mぐらいですぐに見えました。
ここには三代目までの墓があるとのことです。
これは三代甚右衛門の墓です。
初代左近、二代~右衛門らの墓をここに移設、初代の二百年祭を
七代谷神丞、丹内が行ったということの記念碑でしょうか。
墓石が粗末な河原石なのは家訓で立派な墓は作らないとされているからです。
一族を見守る小祠
このおじぞうさんはかわいい。
南学中興の谷秦山は五代目になり、墓は土佐山田町にあります。
谷甚右衛門の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
谷秦山先塋の地は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。