2002年5月4日
昔は国庁鬼門除けの寺として観音寺といっていましたが、土佐が山内家支配となってからはその家老、乾(いぬい)備後和三の領地となり、「古峰山乾流寺」となっていました。その後火災で焼け、宝永六年永源寺と改め再建されています。本尊は聖観音、越前永平寺の末寺、曹洞宗の禅寺。
国府跡のすぐ近くの山麓に永源寺はあります。
山内家の家老乾家の菩提寺ということで、本堂の裏に回ると・・・・
卵塔と呼ばれる高さ2m以上ある大きい墓・・・「乾の大墓」
二つ並んだ卵塔は土佐初代家老和三備後と妻
雨がしとしと降り夕暮れ近くて薄暗く、なんとなく恐ろしくなり・・・
<乾の大墓>
四代信和は四角い大墓です。
これも身長175cmの私の背より高く・・・。
乾和三・和規の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
乾の墓・卵塔は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。