2013年1月24日
イオンの北西角の信号を北に渡りなんとか谷の方へたどりつき、一番奥の擁壁から右上に
登りました。幾つかの墓地を通り過ぎ、上への道から右方向に分かれます。
間もなく石垣の上に大きい墓が2基見えました。
片岡健吉と妻の美遊の墓です。
片岡健吉は戊辰の役で功労があり中老となり、藩政に参加。明治4年ヨーロッパを視察しました。
征韓論を唱え下野した板垣退助と協力し、立志社社長として自由民権運動を広めました。
上に衆議院議長、正四位、勲三等と刻まれています。
片岡健吉 明治三十六年(1903)十月三十一日に61才で没。
妻の美遊 明治四十二年(1909)一月十一日に65才で没。
片岡健吉はクリスチャンでした。墓石の後面に「義人は信仰により生くなり」とあります。
下の方には2段に分かれて子孫の墓があります。
更にその下段には健吉の妻の実家である近藤家の墓が並んでいます。
片岡健吉墓所は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。