元内閣総理大臣浜口雄幸は、旧制第三高等学校在学中に高知市五台山唐谷の水口家から田野町の濱口家に養子に行った。
その唐谷に地元有志の力で生家の保存がなされていて、雄幸の若かりし頃がしのばれる。
2002年4月28日 高知市唐谷を訪れました。
2台しか置けない狭い駐車場に車を置いて、2,3分歩くと細い山道になりました。
先祖は長宗我部氏に水口城を追われてこの唐谷で隠れ住みましたが、江戸時代には山内氏にとりたてられました。
「濱口雄幸生誕地」という大きい石碑が見学者を迎えるように建っていました。
門の左手には、厠に続いて今は資料展示室となっている倉があります。
資料展示室は暖かい配色でデザインされ、直筆の色紙等が展示されていました。
雄幸が踏んだであろう分厚い飛び石が倉から母屋へきれいに配置されています。
当時の水口家の裕福さを示すようです。
振り返り見ると、倉の横の離れは雄幸の勉強部屋だったそうです。
母屋の玄関は意外と簡単な造りで、潜り戸の向こうは池のある中庭です。
表の庭からは座敷の床の間が見えました。
昔のかまども、はがまを乗せていつでもご飯が炊けそうです。
この中には五右衛門風呂があり、若い雄幸が湯につかっている様子が目に浮かびます。
学生時代の写真も飾ってありました。
家の前には広い畑があり、平屋だがここから見ると立派な家構えです。
浜口雄幸誕生地跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。