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掛川神社


 2005年1月17日 今日は私の通勤経路にあって、前から気になっていた掛川神社に立ち寄りました。
 掛川といえば土佐藩主山内一豊公が以前治めていたところなので、この神社と関係あるのでは?というわけで訪れました。
 高知市北部環状線を東進、道路が薊野の旧国道に突き当たるT字交差点を左折してすぐ左。JRと旧国道が並行している北側です。


 立派な鳥居と石柱が立っています。ここからの参道に車を置くことができます。


石柱の横には「合殿 瀧宮神社 東照神社 海津見神社」と彫られています。
瀧宮、海津見の両神社はこの地にあった古社で、明治32年に合祭されました。



昭和三年に奉納された狛犬さんが座っていました。


 石段は歴史を感じさせます。中段には神主さんの住居ではないかと思われる住宅があり、
自動車も中段まで上がることができるように道が舗装されていました。


石段の上段左手に手水舎がありました。


手水鉢の正面と側面には三葉葵の徳川の家紋があります。


手水舎から数段上がると本殿前の境内になりますが、今は使われていない手水鉢が置いてありました。
これには山内家の家紋である三葉柏が彫られています。


石段を登りつめると正面に拝殿が見えました。
お賽銭を投げ込み、ガラガラと鈴を鳴らしてごあいさつ。
参道にあった高知市教育委員会の説明板によると、
寛永18年(1641)山内忠義が、その産土神であった牛頭天王を
掛川から勧請し、高知城東北の鬼門守護神として建立したものが
明治元年(1868)に現社名に改称。
東照神社については、延宝8年(1680)山内豊昌が徳川家康の
位牌殿を設け、文化11年(1814)山内豊資が境内に社殿を築造し
東照大権現とした。その後明治元年東照神社と改称、明治13年
合祭した。という。だから手水鉢や本殿に葵の紋が入っている。

徳川さんに恩のある山内さんだから、東照大権現を作った。
おんちゃんは、これは戊辰の役で日光東照宮を破壊から
土佐藩が救ったということにつながっているのではないかと
閃いたのでした。


左に回り込み、拝殿と本殿の全体を見渡します。
拝殿は瓦葺きですが、本殿は銅板葺きのようです。


拝殿内部には大きい絵馬がいくつか保管されています。


受験シーズンです。合格祈願の絵馬が奉納されています。

 


境内右側にはこんなオブジェが??
山内の殿様が奉納した灯籠のなれの果てでしょうか。


葵の紋はここにもありました。


本殿の入り口の上の部分の本殿側です。


拝殿側から見るとこの額がかかっています。


本殿の真後ろに回るとここにもありました。


境内左奥にはこんな台座がありました。東照大権現か鐘突き堂のなごりでしょうか?



掛川神社の石段の途中を左に進むと国清寺があります。(2010.04.29)


陽貴山見龍院国清寺 臨済宗相国寺派 本尊釈迦如来。


元和3年(1617)日讃和尚の開基。
寛永18年(1641)牛頭天王宮の別当寺となる。
山内家の崇敬が篤かったが明治の廃仏毀釈で廃寺となる。
明治13年(1880)京都相国寺の独園大禅寺が参禅道場を開いたことをもとに寺が再興された。


奥の方に小さな墓地があり、新しい墓石が並んでいました。
その中に「関川」という名が目に留まりましたが、これは近くの史跡関川家住宅の関川家ではないのでしょうか?

掛川神社と国清寺は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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