2012年2月23日
前田秀徳先生に案内していただきました。万々と福井の境の尾根にある宇賀家、別役家の墓所の隣です。
山北村の郷士門田宇平利實の長男として生まれました。
容堂公の元で徒士目付を勤めるかたわら、土佐勤王党員として、武市、中岡から信頼されていました。
江戸藩邸に勤め、水戸や長州の志士と交流があり江戸の情勢に詳しかったということです。
門田家の墓所。夕陽に照らされている墓が為之助實毅です。
「門田實毅(為之助)」。慶応三年(1867)十一月六日 三十歳で歿。
前田先生によると、井口事件のとき、大石らとともに解決に尽力しています。
また、武市らの釈放運動をしましたが実らず、武市なきあとも国事に奔走を続けました。
しかし、元来からだが弱く、惜しまれつつ若くして亡くなりました。
両親の墓です。「門田利實、同人妻」
父は文久三年(1863)九月二十九日五十五歳で歿。
母は安政五年(1858)四月九日四十一歳で歿。
また、「土佐の墓」によると、父は山北の郷士で、伏見藩邸に勤務中に一弦琴を学び、土佐に帰ったのち西町で一弦琴の教室を開いていたそうです。
門田為之助(實毅)の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
門田為之助の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。