土佐の歴史散歩安田町と馬路村>高松家墓所

高松家墓所など


 安田町役場の西側を南北に通る小道を役場から少し北に進むと、儒学者岡本寧浦の生家や、安田領主安田三河の守泰綱墓所などの大きい説明板が立っています。そして坂本龍馬の跡継ぎ養子となった高松太郎を生んだ高松順蔵・千鶴の墓の案内標識も見えます。
 「高松順蔵(小埜)は文化4年(1807)に安田浦の郷士高松益之丞の長男として生まれました。(中略)家督を弟勇蔵に譲り、野にあって権威に屈せず、自適の生活を送りました。彼の風徳と学問を慕って教えを請う者が多く、その中には中岡慎太郎をはじめとする勤王志士が多く存在し、まさに安芸郡勤王志士の育ての親といえます。妻、千鶴は坂本龍馬の長姉で、龍馬は度々姉夫婦を慕って安田を訪れており、龍馬の思想の形成には順蔵の経国的思想の影響が大きかったといわれています。」


長男の太郎は坂本龍馬の跡を継ぎ直と改名。
次男習吉は龍馬の兄権平の養子となり坂本南海男と改名、その後、直寛と改名。

2002年11月3日 東京龍馬会の皆川さんを迎えて、高松家墓所を訪れました。


標識を追いかけ墓地山に上がっていく途中に、祠とお地蔵さんがありました。


順蔵・千鶴の墓のある墓地全景。
二人の墓石以外はだれの墓なのか不明。
クリスチャンだったので墓石を立てなかったという説も。


2010年4月の墓所。何もなかったところに碑板が置かれていました。
高松勇蔵清則・妻秀子と記されています。勇蔵は順蔵の末弟ですが、順蔵の
養子にしたうえで、家督を継がせています。


高松順蔵・千鶴の墓 
 千鶴は坂本龍馬の一番上のお姉さんで、
龍馬亡き後、坂本家を継いだ長男高松太郎(坂本直)、
次男習吉(坂本南海男・直寛)を生みました。


高松順蔵のもう一人の弟の墓所はすぐ近くの山中にありました。


高松順蔵の弟高松濤亭、妻美和の墓です。
濤亭は長崎でオランダ医学を修め、開業しました。以後子孫も
医療に携わっています。


2010年4月6日再び訪れました。


安田八幡宮です。ここから左の小径に入ったところが高松順蔵邸跡、濤亭旧邸です。
左に立っているのが高松順蔵邸の案内看板です。


こんな地図が看板に描かれていました。


高松濤亭旧邸と高松順蔵邸跡の前を通る小径です。
順蔵邸跡は濤亭旧邸の隣から山際までですが、何軒にも分割されて一般の住宅が建っています。


右が濤亭旧邸、左が順蔵邸跡で、その間に小径がありました。


通りの奥から神社方向を振り返ったところです。


通りの一番奥はT字路になっていて、右は山に登ります。左は旧街道に出ます。


右に進んで山の登り口から少し上がると、町の向こうに海が見えました。
ここまで安田町の建てた看板に従って来たのですが、高松順蔵邸跡には
異論があり、前田秀徳氏や高松順蔵直系の子孫である土居晴夫氏はこの
畑地が順蔵邸跡だと主張していると聞いています。果たしてどちらが正しい
のでしょうか?

高松順蔵、高松涛亭の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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