土佐の歴史散歩高知市中心部>中山高陽誕生地

中山高陽生誕地


2011年2月16日 朝の散歩でグランド通からせっせと歩いて堺町までやってきました。


通勤客の多く行き交う堺町の横断歩道脇に石碑がありました。


中山高陽(1717〜1780)
ここ堺町の富商阿波屋中山勝久の次男です。
商売の道になじめず、文人の道を選び、詩、書、画に秀でました。
京都に出て画を習い、江戸に出て詩人井上金峨、書家澤田東江
と親しくし、高陽の画とともに三絶といわれました。
土佐藩の御用絵師となり三人扶持、また苗字帯刀を許されました。


名を象先、字を延沖、通称を清右衛門、号が高陽、別号として酔墨山人、松石斎といいます。
奥州や熱海を旅行し「奥游日録」や「熱海紀行」を作りました。また、「蘭亭図巻」が有名です。
安永9年(1780)、家族に伴われ土佐に帰る途中に亡くなりました。墓所は薊野の北山です。

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