ツバキの木の下に点在する柳井家2基、島村家3基の墓石。
柳井健次友政の墓です。
土佐勤王党名簿6番目にあります。
元治元年七月十九日、於京都討死。
深尾の家臣から藩の直臣となり江戸に遊学し、諸藩邸を往来して有志と交流しました。
文久2年(1862)願い捨て五十人組に参加、翌年土佐に帰った後に脱藩し長州に渡りました。
忠勇隊に入り元治元年(1864)九門の変で戦闘中に銃創を受け自刃しました。
23才という若さでした。
健次の後の木の下に、柳井由祐妻という墓がぽつんとありました。
明治十四年、二十九才、島村春政二女とあり、近くにある島村家の墓石を確かめました。
島村春政の墓です。
柳井健次の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。