土佐の歴史散歩高知市西部>平井収二郎誕生地・墓

平井収二郎

妹の加尾は龍馬の初恋の人ともいわれます。


2000年9月15日


高知市山手町のJR山手踏切です。この画面右側の山が丹中山です。


「平井収二郎先生誕生之地」
右側の家の新築工事で邪魔になったのか、横倒しにされ、しばらく放置されていた。


平成12年6月高知市により土台の土盛りをし、説明板も用意され再び立てられた。


平井収二郎邸跡は右の坂道を上がる途中にあるが、今は一般の民間人が居住しているので、碑はここに。


2010年4月18日


墓は丹中山東側の山裾の、小高坂山に通じる小道の下にある狭い墓所に並んでいました。




収二郎が獄中で綴った辞世の句。


平井収二郎の墓

2012年2月16日


かつてより前田秀徳氏が発見していた平井家の墓所が崩落の恐れがあるため、
前田氏と平井家の知人の吉岡氏らにより両親の墓などの改葬が始まりました。
平井家はクリスチャンだったので、牧師さんがお祈りをして全員で賛美歌を歌いました。
牧師さんの立っているすぐ後は崩壊間近と思われる崖です。

2012年4月19日(木)


様々な人たちの協力のもと、収二郎と家族がひとつの墓所にならびました。

平井収二郎の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
平井収二郎の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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