2011年2月8日 前田秀徳先生に案内いただきました。
「橋詰愛平有 同人妻喜佐之墓」明治10年7月30日歿、享年52
慶応4年の堺事件の始末として20人が切腹を言い渡されましたが、
愛平はくじ引きで12番目でした。愛平の寸前で切腹が中止され、
9人は生き残りました。
遺言で希望したので、墓は11人の仲間と同じ寺にも建てられているそうです。
橋詰愛平有の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
橋詰愛平の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。